目次
教皇権の盛衰
1.教会刷新運動
・10世紀以降、クリュニー修道院を中心とする改革運動
・教皇グレゴリウス7世も改革を推進
→聖職売買の禁止、聖職者の妻帯禁止
2.叙任権闘争
・聖職叙任権(聖職者を任命する権利)をめぐる、ローマ教皇と神聖ローマ皇帝の争い
・グレゴリウス7世は皇帝ら世俗権力の聖職叙任権を否定。神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世はこれに反発
→グレゴリウス7世はハインリヒ4世を破門
→カノッサの屈辱…ハインリヒ4世がグレゴリウス7世に謝罪し、許された事件
3.教皇権の高まり
①第1回十字軍の成功
・1095年、クレルモン宗教会議で教皇ウルバヌス2世が十字軍を提唱
→第1回十字軍(1096~1099年)が聖地奪回に成功
②ヴォルムス協約
・1122年、教皇と皇帝が締結
・教皇の叙任権を承認
※叙任権闘争の終結
③教皇権の絶頂
・教皇インノケンティウス3世のとき(在位1198~1216年)
・イギリス王ジョンらを破門
・インノケンティウス3世は第4回十字軍を提唱(失敗)
4.教皇権の衰退
・十字軍の失敗により教皇権は衰退へ
・一方で、十字軍の遠征を指揮した各国王の権威が高まる
①アナーニ事件
・1303年
・教皇ボニファティウス8世がフランス国王フィリップ4世に監禁される
→教皇は解放されるが、その後急死
※教皇権は没落へ向かう
②教皇のバビロン捕囚
・1309~1377年
・フィリップ4世がローマ教皇庁を南フランスのアヴィニョンに移転
→7代の教皇がフランス国王の支配下に置かれる
③協会大分裂(大シスマ)
・1378~1417年
・教皇がローマとアヴィニョンに並立し、対立
④教会批判
・イギリスのウィクリフ、ベーメンのフスらが展開
⑤コンスタンツ公会議
・1414~1418年
・協会大分裂の終結:ローマの教皇を正統とする
・フスを火刑に処す
→フス戦争(1419~1436年):フスの支持者が起こした
5.宗教改革へ
※16世紀
漢字の読み方(タップで開きます)
・叙任権:じょにんけん
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