世界史

明①

ポイント解説

北虜南倭に苦しめられた明は万暦帝の時代に一時的に国力を盛り返しました。しかし、その後は豊臣秀吉の朝鮮侵攻への参戦や国内の政治混乱で国力は衰退し、1644年に李自成により北京を占領され、明は滅亡しました。

0.元の滅亡

紅巾の乱

・1351~66年
朱元璋が台頭

②元の滅亡と明の建国

・朱元璋が南京で即位(洪武帝)、を建国
→元の勢力を敗走させ、中国全土を統一

1.洪武帝の統治

※在位1368~98年

①諸制度の改革

ⅰ.中書省の廃止
・長官の丞相も廃止

ⅱ.六部
・中央の行政機関
→皇帝直属にした

ⅲ.法令
明律:刑法
明令:民法・行政法
※唐の律・令にならって制定 

ⅳ.科挙を整備
朱子学の官学化

ⅴ.一世一元の制
・皇帝一代の間は1つの元号を使用

②農村支配

ⅰ.里甲制の実施

 ⅱ.賦役黄冊
・租税台帳

ⅲ.魚鱗図冊
・土地台帳

ⅳ.六諭
・民衆教化のための6カ条の教訓

③軍制

ⅰ.衛所制の実施

ⅱ.対モンゴル防衛
洪武帝は息子らを諸王として北方の国境に配置

④海禁政策

・民間人の海上交易を禁止
朝貢貿易を推進
 ※政府が貿易を管理

2.永楽帝の即位

建文帝

※在位1398~1402年

・第2代皇帝
・諸王の勢力削減策を推進

燕王の挙兵

北平(北京)を本拠とする諸王の1人

靖難の役(1399~1402年):建文帝の諸王抑圧に反発し反乱
→南京を占領し、永楽帝として即位

3.永楽帝の統治

※在位1402~24年

①内政

・首都を北京に移す(北平を改称) 

ⅰ.内閣大学士の設置
・皇帝を補佐
宰相の事実上の復活 

ⅱ.宦官を重用 

②外政

・対外積極策に転換
洪武帝は対外消極策だった

ⅰ.モンゴル遠征:1410~24年
・5回にわたりモンゴル高原へ遠征
・永楽帝みずから兵を率いた 

ⅱ.南海諸国遠征:1405~33年
鄭和による7回の大航海
 鄭和:イスラーム教徒の宦官

・目的:朝貢貿易の促進

4.北虜南倭

・明の衰退の要因となった、南北からの侵入

①北虜

・モンゴル系部族の侵入
オイラトとタタール

ⅰ.オイラト(瓦剌)
エセン=ハン:オイラトの指導者
・15世紀半ば、全モンゴルを統一
・1449年、土木の変土木堡正統帝を捕虜に 

ⅱ.タタール(韃靼)
・オイラトの衰退後、強大化
・1550年、アルタン=ハンが北京を包囲
※明は万里の長城を修築して対応 

②南倭

倭寇の侵入
 ※海賊・私貿易の集団 

ⅰ.前期倭寇
・14世紀を中心に活動
日本人を主体とする 

ⅱ.後期倭寇
・16世紀中頃を中心に活動
中国人を主体とする
 ※明の海禁策に反発
 明は海禁策をゆるめた


漢字の読み方(タップで開きます)

紅巾の乱:こうきんのらん
朱元璋:しゅげんしょう
洪武帝:こうぶてい
:ミン
中書省:ちゅうしょしょう
丞相:じょうしょう
六部:りくぶ
明律:ミンりつ
明令:ミンれい
一世一元の制:いっせいいちげんのせい
里甲制:りこうせい
賦役黄冊:ふえきこうさつ
魚鱗図冊:ぎょりんずさつ
六諭:りくゆ
衛所制:えいしょせい
建文帝:けんぶんてい
燕王:えんおう
・北平:ほくへい
北京:ペキン
靖難の役:せいなんのえき
永楽帝:えいらくてい
鄭和:ていわ
北虜南倭:ほくりょなんわ
瓦剌:ワラ
土木の変:どぼくのへん
・土木堡:どぼくほ
正統帝:せいとうてい
韃靼:だったん
倭寇:わこう

 


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