世界史

中世のドイツ

ポイント解説

ドイツは当初こそ王権(帝権)が強かったものの、叙任権闘争の敗北やイタリア政策などにより、次第に弱体化していきました。フランスと異なり中央集権化は進まず、領邦の分立化が進みました。

0.東フランク王国カロリング朝

※843~911年

・911年、カロリング家の血筋が途絶える

1.ザクセン朝

・919~1024年

オットー1世

・在位936~973年

・962年、ローマ教皇からローマ皇帝の帝冠を授けられる
神聖ローマ帝国(962~1806年)の成立

イタリア政策

・歴代の神聖ローマ皇帝はイタリアに介入
国内分裂と皇帝権の弱体化を招く

2.ザリエル朝

※1024~1125年

・叙任権闘争に敗北
・皇帝権の弱体化が進む

カノッサの屈辱

・1077年、皇帝ハインリヒ4世が教皇グレゴリウス7世に屈服

ヴォルムス協約

・1122年、教皇の聖職叙任権を事実上承認

3.シュタウフェン朝

※1138~1208、1215~54年

・イタリア政策を強化(失敗)
ロンバルディア同盟の抵抗

①フリードリヒ1世

・在位1155~90年
・第3回十字軍に参加するが、溺死

フリードリヒ2世

・在位1215~50年

・第5回十字軍に参加
・一時的に聖地を回復

4.大空位時代

※1256~1273年

・事実上の無皇帝時代
・皇帝権の弱体化が進む

5.ルクセンブルク朝

※1346~1437年

金印勅書

・1356年、カール4世が発布
・7選帝侯の皇帝選出権を承認
※7名の選帝侯の多数決で皇帝を選ぶ

コンスタンツ公会議

・1414~1418年
・神聖ローマ皇帝の提唱で開催
・教会大分裂(大シスマ)の終結
・フスの火刑

③領邦の分立化

領邦…半自立の地方主権国家
 ※大諸侯の領地、自由都市など

6.ハプルブルク朝

※1438~1806年

ハプスブルク家が帝位を世襲化

・神聖ローマ帝国の中央集権化は進まず
領邦の分立が進む

(7.)東方植民

・12~14世紀

・ドイツ諸侯によるエルベ川以東への植民
→諸侯国の成立

例)
ブランデンブルグ辺境伯領
ドイツ騎士団領→のちプロイセン王国


漢字の読み方(タップで開きます)

大空位時代:だいくういじだい
金印勅書:きんいんちょくしょ
選帝侯:せんていこう
領邦:りょうほう
・辺境伯領:へんきょうはくりょう

 


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