開戦~終戦
1.東条英機内閣
・在職:1941.10~1944.7
①1941年の動き
ⅰ.ハル・ノート:11月
・アメリカからの事実上の最後通告
ⅱ.真珠湾攻撃:12月8日
・日本はハワイの真珠湾を奇襲攻撃
→太平洋戦争の開戦
ⅲ.大東亜共栄圏
・欧米帝国主義からの解放、アジアの民族で共存共栄を主張
②1942年の動き
ⅰ.翼賛選挙:4月
・推薦候補が多数当選
ⅱ.ミッドウェー海戦:6月
・日本が大敗北
→戦局の転換へ(悪化)
③1943年の動き
ⅰ.学徒出陣:9月
・文科系学生の徴兵猶予を停止
ⅱ.大東亜会議:11月
・東京で開催
・大東亜共栄圏の結束を誇示
ⅲ.カイロ会談:11月
・米英中が参加
※フランクリン゠ローズヴェルト、チャーチル、蔣介石
→カイロ宣言:日本との徹底抗戦、日本の領土の画定
④1944年の動き
ⅰ.サイパン島陥落:7月
・絶対国防圏の崩壊
→責任を取り東条英機内閣総辞職
※本土空襲の本格化へ
ⅱ.学童疎開の開始:7月頃~
・本土空襲の激化による
※学生・生徒・女性は勤労動員として徴用され、軍需産業に動員
2.小磯国昭内閣
・在職:1944.7~1945.4
①ヤルタ会談
・1945年2月開催
・参加国:米英ソ
※フランクリン゠ローズヴェルト、チャーチル、スターリン
→ヤルタ秘密協定:独降伏後のソ連の対日参戦、千島列島・南樺太をソ連領とする
②ソ連の動き
・1945年4月、ソ連が日ソ中立条約の非延長を日本に通告
③アメリカの動き
・1945年4月、アメリカ軍が沖縄本島に上陸
→直後に小磯国昭内閣退陣
3.鈴木貫太郎内閣
・在職:1945.4~1945.8
※以下、いずれも1945年のできごと
①ヨーロッパの終戦
・5月、ドイツが降伏
※イタリアは1943年に降伏
②日本の敗戦
ⅰ.沖縄戦の終結
・6月、組織的な戦いが終了
ⅱ.ポツダム会談:7月
・参加国:米英ソ
※トルーマン、チャーチル → アトリー、スターリン
→ポツダム宣言:日本に対し米英中が無条件降伏などを要求
※日本は当初、ポツダム宣言を無視
ⅲ.アメリカの原爆投下
・8月6日、広島に原子爆弾を投下
・8月9日、長崎に原子爆弾を投下
ⅳ.ソ連の対日参戦
・8月8日、ヤルタ秘密協定にもとづき日本に宣戦布告
※日ソ中立条約を破棄し、朝鮮・満州に侵攻
ⅴ.終戦
a.御前会議:8月9日
・10日未明、昭和天皇の聖断によりポツダム宣言の受諾を決定
b.御前会議:8月14日
・無条件降伏を最終決定
c.終戦の詔勅:8月15日
・昭和天皇の玉音放送により国民に終戦を知らせる
d.降伏文書:9月2日
・降伏文書に署名
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1.東条英機内閣
・東条英機:とうじょうひでき
・真珠湾:しんじゅわん
・大東亜共栄圏:だいとうあきょうえいけん
・翼賛選挙:よくさんせんきょ
・学徒出陣:がくとしゅつじん
・大東亜会議:だいとうあかいぎ
・学童疎開:がくどうそかい
・勤労動員:きんろうどういん
2.小磯国昭内閣
・小磯国昭:こいそくにあき
3.鈴木貫太郎内閣
・鈴木貫太郎:すずきかんたろう
・御前会議:ごぜんかいぎ
・聖断:せいだん
・終戦の詔勅:しゅうせんのしょうちょく
・玉音放送:ぎょくおんほうそう
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