Ⅰ.戦時体制の強化
1.第1次近衛文麿内閣
・在職:1937.6~1939.1
①統制の強化
ⅰ.企画院
・1937年、設置
ⅱ.矢内原事件
・東京帝国大学教授矢内原忠雄が批判を受け辞職
ⅲ.国家総動員法:1938年制定
・政府は議会の承認なしに、勅令で物資や労働力を動員できる
→この法律に基づき、1939年に国民徴用令、価格等統制令などを発令
ⅳ.切符制:1940年導入
・砂糖、マッチなどで実施
ⅴ.大日本産業報国会
・1940年、全ての労働組合が解散して結成
ⅵ.米の配給制
・1941年開始
②日中戦争終結の失敗と長期化
・日本寄りの汪兆銘(汪精衛)が重慶を脱出
→南京に新国民政府を樹立
・日本は新国民政府を正式に承認するが、日本の傀儡で弱体
補)国民政府は日本と徹底抗戦の構えを見せているので、日中戦争を終わらせたい日本は、国民政府にかわる新たな中国政府(新国民政府)を承認して講和しようとした。が、結局失敗
2.平沼騏一郎内閣
・在職:1939.1~8
①日米通商航海条約の破棄
・1939年7月、アメリカが日本に通告
→翌年失効
・1939年8月、独ソ不可侵条約が結ばれる
→平沼内閣総辞職:「欧州情勢は複雑怪奇」
3.阿部信行内閣
・在職:1939.8~1940.1
・1939年9月、ドイツがポーランドに侵攻
→イギリス・フランスがドイツに宣戦、第二次世界大戦が勃発
4.米内光政内閣
・在職:1940.1~7
・1940年、フランスがドイツに降伏
→日本では、ドイツへの接近、南方進出論が強まる
・新体制運動:近衛文麿が中心となって進められた
→米内内閣退陣
Ⅱ.開戦前夜
1.第2次近衛文麿内閣
・在職:1940.7~1941.7
・外相:松岡洋右
→積極政策への転換
①1940年のうごき
ⅰ.北部仏印に進駐:9月
・目的:援蔣ルートの遮断、南進
ⅱ.日独伊三国同盟
・9月締結
→アメリカの経済制裁
※航空機用ガソリン、屑鉄、鉄鋼の対日輸出禁止
ⅲ.大政翼賛会の成立:10月
②1941年の動き
ⅰ.国民学校:4月
・小学校を改称
・「小国民」の育成をめざす
ⅱ.日ソ中立条約:4月
・北方の安全を確保し、南進政策を進めるため
※有効期間5年
ⅲ.独ソ開戦:6月
・ドイツが不可侵条約を破ってソ連に侵攻
→米英はソ連を支援
ⅳ.関東軍特種演習(関特演):7月
・70万人を満州に動員
2.第3次近衛文麿内閣
・在職:1941.7~10
※対米強硬派の外相松岡洋右を除外して再組閣
南部仏印進駐
・1941年7月
→アメリカは対日石油輸出を禁止
→軍部はABCD包囲陣(米英中蘭)の打破を訴える
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1.第1次近衛文麿内閣
・近衛文麿:このえふみまろ
・企画院:きかくいん
・矢内原忠雄:やないはらただお
・国家総動員法:こっかそうどういんほう
・国民徴用令:こくみんちょうようれい
・価格等統制令:かかくとうとうせいれい
・切符制:きっぷせい
・大日本産業報国会:だいにっぽんさんぎょうほうこくかい
・配給制:はいきゅうせい
・汪兆銘(汪精衛):おうちょうめい(おうせいえい)
2.平沼騏一郎内閣
・平沼騏一郎:ひらぬまきいちろう
・日米通商航海条約:にちべいつうしょうこうかいじょうやく
・独ソ不可侵条約:どくそふかしんじょうやく
3.阿部信行内閣
・阿部信行:あべのぶゆき
4.米内光政内閣
・米内光政:よないみつまさ
1.第2次近衛文麿内閣
・松岡洋右:まつおかようすけ
・北部仏印:ほくぶふついん
・日独伊三国同盟:にちどくいさんごくどうめい
・屑鉄:くずてつ
・大政翼賛会:たいせいよくさんかい
・小国民:しょうこくみん
・関東軍特種演習(関特演):かんとうぐんとくしゅえんしゅう(かんとくえん)
※特殊ではなく特種
2.第3次近衛文麿内閣
・ABCD包囲陣:エービーシーディーほういじん
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