ざっくり日本史

明治時代1(基礎)

Ⅰ.明治時代の年代

・1868~1912年(明治45年)
※今回は1870年代まで

Ⅱ.明治時代のまとめ

1.戊辰戦争

・1868~1869年
・始まり:鳥羽・伏見の戦い
 ※1868年1月、京都
・終わり:五稜郭の戦い榎本武揚が降伏

2.明治維新

①新政府の発足

ⅰ.五箇条の誓文の公布1868年3月14日
・起草:由利公正
→修正:福岡孝弟
→加筆:木戸孝允 

ⅱ.五榜の掲示1868年3月15日
・民衆の心得を示した
キリスト教の禁止など旧幕府の対民衆政策を継承 

ⅲ.政体書の制定1868年閏4月
・政府の組織を整備
三権分立:形式的ではあるが開明的で欧米流の近代政治の体裁を整えた

3.政治的統一の達成

版籍奉還

1869年薩摩長州土佐肥前の4藩主が、朝廷に領地(版図)と領民(戸籍)を返上

・旧大名は旧領地の知藩事に任命される
 →地方長官として引き続き藩政にあたる

※名目的には変わったが、実質は江戸時代のまま

廃藩置県

1871年、薩摩、長州、土佐から1万人の御親兵をつのり、軍事力を固めたうえで断行

・中央から府知事県令が派遣され地方行政を担当

③藩閥政府の形成

薩摩藩西郷隆盛大久保利通黒田清隆
長州藩木戸孝允伊藤博文井上馨山県有朋
土佐藩板垣退助後藤象二郎
肥前藩大隈重信江藤新平
公家三条実美岩倉具視

4.中央政府のしくみの変遷

①三職

・1867年、王政復古の大号令の後の臨時政府
総裁議定参与を臨時に設置

②太政官制

政体書により設置
 ※1868年~1885年

内閣制度

・1885年~現在

5.明治初期の対外関係

①岩倉使節団の派遣

1871~73年
・大使:岩倉具視
 ※ほかに木戸孝允大久保利通伊藤博文

・女子留学生の津田梅子らも同行

中国(清)との関係

ⅰ.日清修好条規に調印:1871年
・対等な条約

ⅱ.台湾出兵(征台の役):1874年
・台湾出兵に反対した木戸孝允は参議を辞職し下野

朝鮮との関係

ⅰ.征韓論の挫折:1873年
征韓論:武力で朝鮮を開国させるという主張
 ※留守政府の西郷隆盛板垣退助らが主張

岩倉使節団が帰国、大久保利通木戸孝允らが反対
征韓論を主張していた西郷隆盛板垣退助らは参議を辞職し下野
 明治六年の政変という

ⅱ.朝鮮の開国
・1875年、江華島事件起こる
→1876年、日朝修好条規を締結
 ※朝鮮にとって不平等な条約

④琉球琉球処分

・1872年、琉球設置
・1879年、沖縄県の設置を強行

ロシアとの関係

・1875年、樺太・千島交換条約
樺太をロシア領千島全島を日本領とする

その他

・1876年、小笠原諸島の領有を各国に通告


漢字の読み方(タップで開きます)

1.戊辰戦争
戊辰戦争:ぼしんせんそう
・鳥羽・伏見の戦い:とば・ふしみのたたかい
五稜郭の戦い:ごりょうかくのたたかい
※稜はのぎへん。は×
・榎本武揚:えのもとたけあき

2.戊辰戦争
明治維新:めいじいしん
五箇条の誓文:ごかじょうのせいもん
・由利公正:ゆりきみまさ
・福岡孝弟:ふくおかたかちか
・木戸孝允:きどたかよし
五榜の掲示:ごぼうのけいじ
※榜はきへん。は×
政体書:せいたいしょ
・閏4月:うるうしがつ

3.政治的統一の達成
版籍奉還:はんせきほうかん
知藩事:ちはんじ
廃藩置県:はいはんちけん
・御親兵:ごしんぺい
府知事:ふちじ
県令:けんれい
・藩閥政府:はんばつせいふ
西郷隆盛:さいごうたかもり
大久保利通:おおくぼとしみち
・黒田清隆:くろだきよたか
伊藤博文:いとうひろぶみ
・井上馨:いのうえかおる
・山県有朋:やまがたありとも
板垣退助:いたがきたいすけ
・後藤象二郎:ごとうしょうじろう
大隈重信:おおくましげのぶ
・江藤新平:えとうしんぺい
三条実美:さんじょうさねとみ
岩倉具視:いわくらともみ

4.中央政府のしくみの変遷
・三職:さんしょく
・総裁:そうさい
・議定:ぎじょう
・参与・さんよ

5.明治初期の対外関係
津田梅子:つだうめこ
日清修好条規:にっしんしゅうこうじょうき
・征台の役:せいたいのえき
征韓論:せいかんろん
・挫折:ざせつ
明治六年の政変:めいじろくねんのせいへん
江華島事件:こうかとうじけん
日朝修好条規:にっちょうしゅうこうじょうき
琉球処分:りゅうきゅうしょぶん
樺太・千島交換条約:からふと・ちしまこうかんじょうやく
小笠原諸島:おがさわらしょとう

 


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