Ⅲ.鎌倉時代の流れ・続き
4.元寇と鎌倉幕府の動揺
①モンゴル民族の統一と元の建国
ⅰ.チンギス・ハン(成吉思汗)
・13c初め、モンゴル民族を統一
ⅱ.フビライ・ハン(忽必烈汗)
・中国に進出。1271年、国号を元とする
・日本に服属を要求
→幕府の8代執権北条時宗は拒否
ⅲ.幕府の対応
・1271年、異国警固番役
→元の襲来に備え、九州北部の御家人が要地を警備
②元寇(蒙古襲来)
ⅰ.1274年、文永の役
a.元の武器や戦い方に苦戦
・てつはう:火薬を用いた武器
・集団戦法:日本は一騎打ちが主流
b.史料
・『蒙古襲来絵巻』:肥後の御家人竹崎季長の奮戦する姿が描かれる
c.再度の襲来への備え
・異国警固番役の強化
・防塁(石築地、石塁):博多湾沿いに構築
ⅱ.1281年、弘安の役
a.元の軍勢
・1279年に南宋をほろぼし、再度襲来
・東路軍・江南軍あわせて14万の軍勢
b.暴風雨の発生
・元軍は上陸できないまま敗退
③元寇の影響
・御家人の窮乏
・戦費負担が大。恩賞不足
→幕府への不満が高まる
④蒙古襲来後の国内政治
・9代執権北条貞時:1284~1301年
ⅰ.得宗専制政治の確立
・得宗…北条氏の嫡流の当主のこと
・御内人…得宗の家臣
・内管領…御内人の中心人物
ⅱ.得宗専制強化の過程
a.霜月騒動:1285年
・内管領平頼綱が有力御家人安達泰盛を滅ぼす
b.平頼綱を滅ぼす:1293年
・北条貞時が平頼綱を滅ぼす
ⅲ.鎮西探題の設置:1293年
・九州地方の政務・裁判、御家人の指揮
→鎮西奉行の役割は縮小
ⅳ.永仁の徳政令:1297年
⑤御家人の窮乏
ⅰ.窮乏の要因
a.戦費の自己負担と恩賞不足
・幕府に対する不満増大
b.分割相続の繰り返し
・所領の細分化をまねく
c.貨幣経済の浸透
・所領を失う(質入れ・売却)
ⅱ.永仁の徳政令:1297年
・幕府が御家人の救済をはかる
・御家人の所領の質入れ・売却の禁止
・売却後20年以内の所領の無償返却
・金銭貸借の訴訟の不受理
※しかし、かえって混乱を招く
⑥惣領制の崩壊
ⅰ.単独相続への切り替え
ⅱ.悪党の出現
・荘園領主に抵抗する地頭・非御家人など
5.鎌倉幕府の滅亡
①14代執権北条高時の時代
・北条高時の下で、内管領長崎高資が政治独占
②朝廷内の対立
※後嵯峨上皇の死後、本格化:二系統の対立
ⅰ.持明院統
・後深草天皇の系統
・後白河上皇以来の荘園群・長講堂領を保有
※のちの北朝
ⅱ.大覚寺統
・亀山天皇の系統
・鳥羽上皇以来の荘園群・八条院領を保有
※のちの南朝
ⅲ.幕府の介入と解決策
・両統迭立:二系統が交代で皇位につく方式
③後醍醐天皇(大覚寺統)の討幕計画
ⅰ.正中の変:1324年
・事前に発覚して失敗
ⅱ.元弘の変:1331年
・武力討幕を再計画。発覚し失敗
→後醍醐天皇は隠岐に配流
※幕府は光厳天皇(持明院統)を即位させる
④討幕運動の活発化
・護良親王(後醍醐天皇の皇子)の挙兵
・楠木正成の挙兵:赤坂城、千早城で戦う
・後醍醐天皇が隠岐を脱出
⑤鎌倉幕府の滅亡
・足利高氏が六波羅探題を滅ぼす
・新田義貞が鎌倉を攻める:北条高時とその一族自殺
→1333年、鎌倉幕府滅亡
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4.元寇と鎌倉幕府の動揺
・北条時宗:ほうじょうときむね
・元寇:げんこう
・蒙古襲来:もうこしゅうらい
・異国警固番役:いこくけいごばんやく
・文永の役:ぶんえいのえき
・竹崎季長:たけざきすえなが
・防塁:ぼうるい
・石築地:いしついじ
・石塁:せきるい
・弘安の役:こうあんのえき
・東路軍:とうろぐん
・江南軍:こうなんぐん
・窮乏:きゅうぼう
・北条貞時:ほうじょうさだとき
・得宗専制政治:とくそうせんせいせいじ
・御内人:みうちびと
・内管領:うちかんれい
・霜月騒動:しもつきそうどう
・平頼綱:たいらのよりつな
・安達泰盛:あだちやすもり
・鎮西探題:ちんぜいたんだい
・永仁の徳政令:えいにんのとくせいれい
・悪党:あくとう
5.鎌倉幕府の滅亡
・北条高時:ほうじょうたかとき
・長崎高資:ながさきたかすけ
・後嵯峨上皇:ごさがじょうこう
・持明院統:じみょういんとう
・後深草天皇:ごふかくさてんのう
・長講堂領:ちょうこうどうりょう
・北朝:ほくちょう
・大覚寺統:だいかくじとう
・亀山天皇:かめやまてんのう
・八条院領:はちじょういんりょう
・南朝:なんちょう
・両統迭立:りょうとうてつりつ
・後醍醐天皇:ごだいごてんのう
・正中の変:しょうちゅうのへん
・元弘の変:げんこうのへん
・光厳天皇:こうごんてんのう
・護良親王:もりよししんのう
・楠木正成:くすのきまさしげ
・足利高氏:あしかがたかうじ
※この時点では尊氏ではない
・新田義貞:にったよしさだ
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