ざっくり日本史

平安時代2(基礎)

Ⅲ.平安時代の流れ・続き

5.院政の開始

後三条天皇の即位

・1068年即位
・藤原氏を外戚としない天皇

ⅰ.人材登用
大江匡房を登用

ⅱ.枡の統一
宣旨枡の制定

ⅲ.荘園整理令
・1069年
延久の荘園整理令を発令
→藤原氏に打撃 

院政

ⅰ.特徴
上皇(太上天皇)が実権を握って行う政治

ⅱ.院政の開始
・1086年、
白河天皇が子の堀河天皇に譲位
白河上皇として政治の実権を握り続けた

6.平氏政権

2つの戦乱

ⅰ.保元の乱:1156年
・院政の実権をめぐる対立
勝利後白河天皇平清盛源義朝
敗北崇徳上皇、藤原頼長、平忠正、源為義

ⅱ.平治の乱:1159年
・源平の対立
勝利藤原通憲(信西)(自殺)、平清盛
敗北源義朝源頼朝(伊豆に配流)
 →その後、平氏が台頭 

平氏政権

平清盛の政策

ⅰ.太政大臣に就任:1167年
平清盛が武士として初めて太政大臣になる

ⅱ.政略結婚
・娘の平徳子(建礼門院)高倉天皇に嫁がせた
→生まれた安徳天皇が即位

※平清盛は外戚として権勢をふるう(藤原氏と同じ)

ⅲ.日宋貿易
・摂津の港大輪田泊を修築
との貿易を拡大

7.源平の争乱(治承・寿永の乱)

①源氏の挙兵

・1180年、以仁王の令旨
源頼政らの挙兵
伊豆源頼朝木曽の源義仲らも挙兵

1181年、平清盛が死去

寿永二年十月宣旨

・1183年、源頼朝が東国(東海道・東山道)の支配権を認められる

壇の浦の戦い

・1185年、源義経らの活躍により、平氏が滅亡
※源頼朝の弟


漢字の読み方(タップで開きます)

5.院政の開始
後三条天皇:ごさんじょうてんのう
大江匡房:おおえのまさふさ
宣旨枡:せんじます
延久の荘園整理令:えんきゅうのしょうえんせいりれい
上皇:じょうこう
太上天皇:だいじょうてんのう
白河天皇:しらかわてんのう
堀河天皇:ほりかわてんのう

6.平氏政権
保元の乱:ほうげんのらん
後白河天皇:ごしらかわてんのう
平清盛:たいらのきよもり
源義朝:みなもとのよしとも
崇徳上皇:すとくじょうこう
・藤原頼長:ふじわらのよりなが
・平忠正:たいらのただまさ
・源為義:みなもとのためよし
平治の乱:へいじのらん
藤原通憲:ふじわらのみちのり
信西:しんぜい
太政大臣:だいじょうだいじん
平徳子:たいらのとくこ
建礼門院:けんれいもんいん
高倉天皇:たかくらてんのう
安徳天皇:あんとくてんのう
日宋貿易:にっそうぼうえき
大輪田泊:おおわだのとまり

7.源平の争乱(治承・寿永の乱)
・治承:じしょう
・寿永:じゅえい
以仁王:もちひとおう
源頼政:みなもとのよりまさ
・木曽:きそ
源義仲:みなもとのよしなか
寿永二年十月宣旨:じゅえいにねんじゅうがつせんじ
壇の浦の戦い:だんのうらのたたかい
源義経:みなもとのよしつね

 


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