世界史

五代十国、宋、遼、金

Ⅰ.五代十国

・907~979年

五代十国時代:唐の滅亡から宋による中国統一までの時代

五代:華北の5王朝
後梁後唐後晋後漢後周の順に興亡
 →後周を宋(北宋)が滅ぼす

十国:江南・華南周辺の10国

Ⅱ.北方の諸勢力

西夏

1.

・916~1125年
契丹キタイ)の国

建国

・916年、耶律阿保機(太祖)が建国
契丹文字を作成

拡大

燕雲十六州を獲得
 後晋(五代)の建国(936年)を助けた見返り

北宋への侵入
→1004年、澶淵の盟
 …毎年、北宋は遼(契丹)に銀と絹を贈る 

二重統治体制

ⅰ.部族制
北面官が統治
・民族固有 

ⅱ.州県制
南面官が統治
・中国的 

滅亡

・1125年、北宋と金に挟撃され滅亡
※遼の皇族耶律大石は中央アジアに逃れて西遼(1132~1211)を建国

2.西夏

1038~1227年
・チベット系のタングートの国

建国と政策

李元昊が建国
西夏文字を作成
・北宋と遼に対抗

滅亡

・1227年、チンギス゠ハン率いるモンゴルにより滅亡

3.

・1115~1234年
・ツングース系の女真の国

建国と政策

・契丹の支配から独立して、完顔阿骨打が建国
猛安・謀克:完顔阿骨打が始めた軍事・行政組織

対外関係

ⅰ.遼を滅ぼす
・1125年、北宋と同盟して遼を滅ぼす

ⅱ.靖康の変:1126~27年
・北宋を滅ぼし、華北を支配
 →南宋から毎年、銀や絹を贈られる
※淮河より北が金、南が南宋 

滅亡

・1234年、オゴタイ゠ハン率いるモンゴルにより滅亡

Ⅲ.宋

・960~1276年

1.北宋

・960~1127年

趙匡胤(太祖)

・後周の武将
・宋の初代皇帝となる
文治主義を採用
・科挙に殿試を導入 

高宗

・宋の第2代皇帝
・979年、中国の統一を果たす

2.北宋の政策

対外消極策

・1004年、澶淵の盟
→毎年、北宋は遼(契丹)に銀と絹を贈る

北宋の衰退

・財政の悪化
※要因
 
文治主義:官僚の人件費の増大
 対外消極策:異民族への銀・絹 

改革

・11世紀後半、皇帝の神宗王安石を登用
王安石の改革新法を実施
 ※富国強兵策 

※新法党旧法党の対立
新法党王安石の新法を支持する勢力
旧法党:新法に反対の勢力。司馬光 

滅亡

・1127年、靖康の変金に滅ぼされる

3.南宋

・1127~1276年

建国と政策

ⅰ.建国
高宗が建国(皇帝の弟)
靖康の変の後、江南にのがれて建国

ⅱ.金と和議を結ぶ
・淮河を国境とし、北を金、南を南宋とする
 

※和平派:秦檜
 主戦派:岳飛
→和平派が勝利。金に毎年、銀や絹を贈ることに 

滅亡

・1276年、フビライ゠ハンにより滅亡


漢字の読み方(タップで開きます)

五代十国:ごだいじっこく
・後梁:こうりょう
・後唐:こうとう
・後晋:こうしん
・後漢:こうかん
・後周:こうしゅう 

:りょう
契丹:きったん
耶律阿保機:やりつあぼき
・太祖:たいそ
・燕雲十六州:えんうんじゅうろくしゅう
澶淵の盟:せんえんのめい
・北面官:ほくめんかん
・南面官:なんめんかん
・耶律大石:やりつたいせき
・西遼:せいりょう
・西夏:せいか
・李元昊:りげんこう
:きん
・女真:じょしん
完顔阿骨打:やんわんあぐだ
・猛安・謀克:もうあん・ぼうこく
靖康の変:せいこうのへん
・淮河:わいが

趙匡胤:ちょうきょういん
殿試:でんし
高宗:こうそう
・神宗:しんそう
王安石:おうあんせき
新法:しんぽう
・新法党:しんぽうとう
・旧法党:きゅうほうとう
司馬光:しばこう
・秦檜:しんかい
・岳飛:がくひ

 


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