ざっくり日本史

安土桃山時代(基礎)

Ⅰ.安土桃山時代の年代

・1573年から1603年まで

Ⅱ.大まかな流れ

1.織田信長
・1560年、桶狭間の戦い今川義元を破る
・1573年、室町幕府を滅ぼす
・1575年、長篠合戦:武田氏を破る
・1582年、本能寺の変:自害

2.羽柴秀吉(豊臣秀吉)
・1582年、明智光秀を討つ
関白・太政大臣に就任
太閤検地刀狩の実施
・1590年、天下統一を達成
朝鮮出兵
・1598年、死去

Ⅲ.安土桃山時代の流れ

1.織田信長

①信長の事績

ⅰ.桶狭間の戦い:1560年
・駿河の今川義元を破る

ⅱ.入京:1568年
足利義昭を奉じて(従う形で)京都に入る
15代将軍に就かせる

ⅲ.姉川の戦い:1570年
・近江の浅井長政と越前の朝倉義景の連合軍を破る

ⅳ.延暦寺焼打ち:1571年
・対立する仏教勢力を弾圧

ⅴ.室町幕府を滅ぼす:1573
・15代将軍足利義昭を京都から追放

ⅵ.長篠合戦:1575年
・三河の長篠で甲斐の武田勝頼を破る
 ※足軽鉄砲隊と馬防柵を用いた戦法で、武田氏の騎馬隊を撃破

ⅶ.安土城を築城:1576年
・琵琶湖のほとりに築く
・天下統一のための拠点 

ⅷ.本能寺の変1582年
・京都で家臣の明智光秀の謀叛にあい自害

都市政策

ⅰ.関所の撤廃
・交通の障害となっていたため。自由な通行を認める

ⅱ・楽市・楽座
・安土城下町に楽市令を発する
→商工業者に自由な営業活動を認める

ⅲ.境の直轄化
・自治都市を直轄領とする
※経済力に着目 

宗教政策

ⅰ.仏教勢力:対立
石山本願寺を頂点とする浄土真宗の寺院と対立
寺内町を拠点とする一向一揆と対立

・1574年、伊勢長島の一向一揆を鎮圧
・1580年、石山戦争終結:本願寺の顕如(光佐)が屈服し石山を退去

ⅱ.キリスト教:保護
キリスト教には好意を示し、積極的に保護

2.羽柴秀吉豊臣秀吉

天下統一まで

ⅰ.山崎の合戦:1582年
・天王山で明智光秀を破る

ⅱ.賤ヶ岳の戦い:1583年
・織田信長の重臣柴田勝家を破る

ⅲ.大坂城を築城:1583年
・石山本願寺の跡地に建設
→1588年完成

ⅳ.小牧・長久手の戦い:1584年
徳川家康らと戦い、和睦

ⅴ.四国平定1585年
長宗我部元親が降伏
長宗我部氏は土佐一国のみ安堵

ⅵ.関白に就任:1585年
・全国の支配権を委任される
 →惣無事令を出し、全国の戦国大名に停戦を命令
※「私闘」の禁止

ⅶ.太政大臣に就任:1586年
※同年、豊臣の姓を与えられる

ⅷ.九州平定:1587年
惣無事令に従わなかった薩摩島津義久を降伏させる

ⅸ.小田原攻め1590年
・最後まで抵抗し続けた北条氏(北条氏政)を滅ぼす

※東北地方の諸大名(伊達政宗ら)も服属
全国統一を完成 

②豊臣政権の確立

ⅰ.天皇権威の利用
・1588年、京都の聚楽第後陽成天皇を招く

ⅱ.経済基盤
蔵入地:秀吉の直轄領。約220万石
・主要鉱山の直轄化
 天正大判の鋳造

ⅲ.政権組織の整備
a.五奉行
長束正家浅野長政石田三成前田玄以増田長盛

b.五大老
徳川家康前田利家毛利輝元上杉景勝宇喜多秀家
 ※はじめ小早川隆景も含め大老は6人いたが、その死後五大老となる 

秀吉の国内政策

ⅰ.太閤検地
・土地面積の単位を統一:
 ※1段=300とした(それまでは360歩)

京枡:枡の容量を統一
石高制:全国各地の生産力をの量で換算
一地一作人の原則:1つの土地に1人の耕作者と定めた

ⅱ.兵農分離
・兵・町人・百姓などの職業にもとづく身分が定められたこと
検地(太閤検地)刀狩人掃令(身分統制令)により完成

a.刀狩令:1588年
・一揆を防止し、農民を農業に専念させるため(年貢を確実に取り立てるため)

b.人掃令(身分統制令):1591年
身分・職業の変更を禁止
→1592年、関白豊臣秀次も発令:朝鮮出兵の人員確保のため 

秀吉のキリスト教政策と対外政策

ⅰ.バテレン追放令:1587年
・大名の入信は許可制にし、宣教師を国外追放
・信仰を捨てなかった播磨国明石城主高山右近の領地を取り上げ(取り潰し)
・一般人の信仰は「その者の心次第」として禁止せず
 →禁教は不徹底に終わった

ⅱ.サン=フェリペ号事件:1596年
・スペイン船サン=フェリペ号の乗組員の失言がきっかけ
26聖人殉教:秀吉の指示により、長崎にて宣教師・信者を処刑

ⅲ.海賊取締令:1588年
倭寇(後期倭寇)などの海賊行為を禁止
・刀狩令と同日に発令。「海の刀狩令」ともいわれる

⑤朝鮮出兵

ⅰ.文禄の役:1592年
・秀吉は肥前名護屋に本陣を築く
・朝鮮水軍や明の援軍により戦局は不利に
 ※李舜臣が考案した亀甲船など

ⅱ.慶長の役:1597年
・日本軍ははじめから苦戦。士気も低い
・1598年、豊臣秀吉の死去により撤兵  


漢字の読み方(タップで開きます)

1.織田信長
桶狭間の戦い:おけはざまのたたかい
今川義元:いまがわよしもと
足利義昭:あしかがよしあき
・奉じて:ほうじて
・姉川の戦い:あねがわのたたかい
・浅井長政:あざいながまさ
・朝倉義景:あさくらよしかげ
延暦寺焼打ち:えんりゃくじやきうち
長篠合戦:ながしのかっせん
・武田勝頼:たけだかつより
・馬防柵:ばぼうさく
安土城:あづちじょう
本能寺の変:ほんのうじのへん
明智光秀:あけちみつひで
・謀叛:むほん
楽市・楽座:らくいち・らくざ
石山本願寺:いしやまほんがんじ
・伊勢長島の一向一揆:いせながしまのいっこういっき
顕如(光佐):けんにょ(こうさ)

2.羽柴秀吉(豊臣秀吉)
・天王山:てんのうざん
賤ヶ岳の戦い:しずがたけのたたかい
柴田勝家:しばたかついえ
・小牧・長久手の戦い:こまき・ながくてのたたかい
惣無事令:そうぶじれい
島津義久:しまづいえひさ
・北条氏政:ほうじょううじまさ
聚楽第:じゅらくてい
後陽成天皇:ごようぜいてんのう
蔵入地:くらいりち
天正大判:てんしょうおおばん
・五奉行:ごぶぎょう
・長束正家:なつかまさいえ
・浅野長政:あさのながまさ
石田三成:いしだみつなり
※漢字ミス注意。成は×
・前田玄以:まえだげんい
・増田長盛:ましたながもり
・五大老:ごたいろう
前田利家:まえだとしいえ
毛利輝元:もうりてるもと
上杉景勝:うえすぎかげかつ
・宇喜多秀家:うきたひでいえ
・小早川隆景:こばやかわたかかげ
太閤検地:たいこうけんち
・町・段・畝・歩:ちょう・たん・せ・ぶ
京枡:きょうます
石高制:こくだかせい
一地一作人の原則:いっちいっさくにんのげんそく
兵農分離:へいのうぶんり
人掃令(身分統制令):ひとばらいれい(みぶんとうせいれい)
刀狩令:かたながりれい
豊臣秀次:とよとみひでつぐ
高山右近:たかやまうこん
・26聖人殉教:にじゅうろくせいじんじゅんきょう
文禄の役:ぶんろくのえき
・名護屋:なごや
李舜臣:りしゅんしん
・亀甲船:きっこうせん
慶長の役:けいちょうのえき

 


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