世界史

フランク王国とローマ教会の接近

概要

ゲルマン諸国家が相次いで崩壊する中、フランク王国は着実に拡大を続けた。そこにローマ教会が接近し、ビザンツ皇帝の影響力から完全に脱して、西ヨーロッパ世界が成立する。

1.フランク王国

・481年、建国
→その後、西ヨーロッパの主要部分を統一

メロヴィング朝

・481~751年

ⅰ.建国
クローヴィスが建国
アタナシウス派に改宗:フランク王国発展の基礎 

ⅱ.カロリング家の台頭
・フランク王国の宮宰(マヨル=ドムス)を世襲していた
・732年、トゥール・ポワティエ間の戦い
 宮宰カール=マルテルがイスラム軍(ウマイヤ朝)を撃退
 カロリング家がフランク王国の実権をにぎる 

カロリング朝

・751~987年
ピピンが建国
※カール=マルテルの子

2.東西の教会の対立

※五本山のうち、西のローマ教会と東のコンスタンティノープル教会が有力
※コンスタンティノープル教会はビザンツ皇帝が支配

・726年、聖像禁止令ビザンツ皇帝レオン3世が発布
←ローマ教会は反発(ゲルマン人への布教に聖像が必要)

3.ローマ教会とフランク王国の接近

ピピンの寄進

・756年
ランゴバルド王国を攻撃し、ラヴェンナ地方をローマ教皇に寄進
教皇領の始まり

カール大帝シャルルマーニュ

・ピピンの子。カロリング朝の最盛期を築く
・西ヨーロッパの主要部分を統一

※フランク王国はビザンツ帝国に並ぶ強大国へ
ローマ教会はフランク王国に接近

4.西ヨーロッパ世界の成立 

カールの戴冠

・800年、ローマ教皇レオ3世がカール大帝に西ローマ皇帝の帝冠を授けた
→(476年に滅亡した)西ローマ帝国の復活を宣言

※意義:西ヨーロッパ世界の成立。ローマ教会がビザンツ皇帝から独立

キリスト教世界の分裂

1054年
・西:ローマ=カトリック教会(首長は教皇)
・東:ギリシア正教会(首長はビザンツ皇帝)※コンスタンティノープル教会が発展

地中海世界の三分化
西ヨーロッパ世界、東ヨーロッパ世界、イスラーム世界

5.フランク王国の分裂

・843年、ヴェルダン条約
・870年、メルセン条約
東フランク王国西フランク王国イタリア王国に分裂
※それぞれカロリング家が国王。その後、いずれも断絶

6.3国のその後

東フランク王国

・843~911年
※現在のドイツ

ⅰ.断絶
・911年、カロリング家が断絶

ⅱ.ザクセン朝
オットー1世の活躍
→962年、教皇から帝冠を授かる
初代神聖ローマ帝国皇帝となる
神聖ローマ帝国の成立(962~1806年)

 ②西フランク王国

・843~987年
※現在のフランス

ⅰ.断絶
・987年、カロリング家が断絶

ⅱ.カペー朝の成立:987~1328年
・パリ伯のユーグ=カペーが即位して成立
 ※これ以降、フランス王国 

③イタリア王国

※現在のイタリア

ⅰ.断絶
・875年、カロリング家が断絶

ⅱ.分裂・混乱
・神聖ローマ帝国の介入、イスラーム勢力の侵入を受ける
・諸侯・都市の分立・抗争が続く


世界史にもどる