ざっくり日本史

江戸時代5(基礎)

Ⅲ.江戸時代の流れ・続き

F.開国~幕府の滅亡

・13~15代将軍の時期(1843~67年)

1.開国への圧力

・1853年、ペリー(アメリカ)が浦賀に来航
※同年、プチャーチン(ロシア)が長崎に来航

2.安政の改革

・老中首座阿部正弘を中心とする改革

①人材登用

・越前藩主松平慶永
・薩摩藩主島津斉彬
・宇和島藩主伊達宗城

※前水戸藩主徳川斉昭の幕政参画も

②大船建造の禁を解禁

・武家諸法度の変更

蕃書調所

・江戸に設置。洋学教育、翻訳機関

3.開国

ペリーの再来航

・1854年、日米和親条約神奈川条約)の締結

※日米和親条約の内容
ⅰ.下田箱館の開港
ⅱ.アメリカ船に燃料・食糧の供給
ⅲ.片務的最恵国待遇の承認

プチャーチンの再来航

・1854年、日露和親条約の締結

※日露和親条約の内容
ⅰ.択捉島以南を日本領、得撫島以北をロシア領
樺太は両国人雑居とする
ⅱ.下田箱館長崎の開港

※和親条約の締結:アメリカオランダイギリスロシアと調印

4.開港とその影響

通商の要求

ⅰ.ハリスの着任:1856年
・アメリカ総領事ハリス下田に着任
→老中堀田正睦に通商を要求

ⅱ.老中堀田正
堀田正睦は朝廷に通商条約勅許を要請
 →孝明天皇は拒否
※その間、大老井伊直弼が就任

日米修好通商条約

・1858年、大老井伊直弼無勅許調印

※日米修好通商条約の内容
ⅰ.開港
・神奈川(実際は横浜)、長崎新潟兵庫(実際には神戸)の開港
神奈川は実際には横浜を開港、兵庫は実際には神戸を開港

ⅱ.領事裁判権治外法権)を認める
・日本に滞在する自国民の犯罪を自国の法律で裁判する
※日本滞在のアメリカ人の犯罪はアメリカが裁判

ⅲ.協定関税制
・日本の関税自主権の欠如 

安政の五カ国条約→アメリカオランダイギリスフランスロシアと締結
(日米修好通商条約と同内容の条約を各国と締結)

③貿易の状況

ⅰ.最大の貿易港
横浜

ⅱ.最大の貿易相手国
イギリス
※アメリカは南北戦争の影響で貿易額が少ない

ⅲ.輸出品
生糸(約80%)、、蚕卵紙、海産物

ⅳ.輸入品
毛織物綿織物(合計約75%)、武器

貿易の影響と幕府の対応

ⅰ.物価の上昇
・大幅な輸出超過、国内の物資不足が原因

ⅱ.金貨の流出
対応:悪貨の万延小判鋳造
 →物価上昇に拍車がかかる

ⅲ.五品江戸廻送令:1860年
・次の五品目について、江戸の問屋を経由することを義務付け
・五品:雑穀水油呉服生糸
※列国の反対により成果あがらず

5.公武合体と尊攘運動

①将軍継嗣問題

・13代将軍徳川家定に子がいない

ⅰ.一橋派
一橋慶喜(徳川慶喜)擁立を主張
 ※水戸藩の徳川斉昭の子

・支持者(人物重視):越前藩主松平慶永(春嶽)、薩摩藩主島津斉彬

ⅱ.南紀派
・紀伊藩主徳川慶福擁立を主張

・支持者(血統重視):彦根藩主井伊直弼ら譜代大名が中心

②大老井伊直弼の政治

ⅰ.将軍継嗣の決定
徳川慶福が14代将軍徳川家茂として就任

ⅱ.安政の五カ国条約に調印
・違勅調印に批判がおこる

ⅲ.安政の大獄:1858~59年
・反対派を強硬に弾圧
・隠居・謹慎:徳川斉昭徳川慶喜一橋慶喜)、松平慶永
・処刑:越前藩士橋本左内長州藩士吉田松陰

ⅳ.桜田門外の変:1860年
水戸脱藩士らにより井伊直弼が暗殺される

公武合体運動

老中安藤信正の政策

和宮降嫁孝明天皇の妹和宮を将軍徳川家茂の正室に迎える
→1862年、坂下門外の変:水戸脱藩士におそわれ負傷、老中を退任

文久の改革

・1862年、薩摩藩の島津久光の建言に基づく
※薩摩への帰路にて生麦事件が発生

ⅰ.人事
松平慶永政事総裁職
徳川慶喜将軍後見職
松平容保京都守護職(京都所司代の上に新設)

ⅱ.参勤交代制の緩和
・3年1勤(在府期間短縮)とする
・大名の妻子の帰国を認める

長州藩の動き

・尊王攘夷を藩論とする
・急進派(尊攘派)の公家三条実美らと結び、朝廷に働きかけ
→幕府はやむなく1863年5月10日を期して攘夷の決行を諸藩に命令
長州藩外国船砲撃事件:長州藩が下関海峡で英米蘭船を砲撃(翌年報復される) 

⑥薩摩藩・会津藩の動き

長州藩勢力の打倒をはかる

八月十八日の政変:1863年
 →長州藩勢力と急進派の公家三条実美らを京都から追放 

幕府の動き

尊攘派の弾圧
・1864年、池田屋事件(京都):新撰組が尊攘派の志士を襲撃

長州藩の反撃・敗退

※いずれも1864年

ⅰ.禁門の変蛤御門の変
薩摩藩会津藩に敗北

ⅱ.第1次長州征討
・朝廷から征討令を受けた幕府が諸藩兵を動員(交戦はせず)

ⅲ.四国艦隊下関砲撃事件
イギリスフランスアメリカオランダの報復を受ける

尊王攘夷論の挫折・貿易不平等の拡大

ⅰ.攘夷の挫折
薩摩藩薩英戦争で攘夷の不可能を悟る
・長州藩四国艦隊下関砲撃事件で攘夷の不可能を悟る

ⅱ.条約勅許:1865年
孝明天皇が条約を承認

ⅲ.改税約書に調印1866年
・貿易の不平等拡大
・関税率が平均20%から一律5%に変更

6.倒幕運動の展開

①第2次長州征討

・1865年
・幕府軍は苦戦
→1866年、将軍徳川家茂の死去を理由に中止

薩長連合(薩長同盟)の成立

・1866年、土佐藩出身の坂本龍馬中岡慎太郎の仲介

※下級武士による藩政掌握
薩摩藩西郷隆盛大久保利通
長州藩高杉晋作(奇兵隊を組織)、桂小五郎(木戸孝允)

③幕府と朝廷

・15代将軍に徳川慶喜が就任
フランスの援助で軍制改革などを実施

孝明天皇の急死:幕府に痛手

④英仏の動向

ⅰ.イギリス
・行使パークス:薩長を支持

ⅱ.フランス
・行使ロッシュ:幕府を支持

7.幕府の滅亡

薩長の動き

・公家の岩倉具視から討幕の密勅を引き出す

幕府の動き:大政奉還

・1867年10月、徳川慶喜が政権を朝廷に返上
土佐藩前藩主山内豊信(容堂)が献策(後藤象二郎坂本龍馬の構想)

※土佐藩は公議政体論を構想:雄藩連合政権。徳川氏を議長とする議会政治

王政復古の大号令

・1867年12月9日
・薩長と岩倉具視らが主導。徳川慶喜をけん制(新政府から除外)

主な内容
・幕府と将軍の廃止、摂政・関白の廃止
 ※江戸幕府の滅亡
三職の新設:総裁議定参与

小御所会議

・三職による会議
徳川慶喜辞官納地を決定
 ※内大臣の辞退と領地の一部返上

8.民衆の動向

世の中の動き

世直し一揆の多発
・伊勢神宮への御蔭参り
「ええじゃないか」の集団乱舞

②教派神道

天理教(大和):中山みきが創始
黒住教(備前):黒住宗忠が創始
金光教(備中):川手文治郎が創始


漢字の読み方(タップで開きます)

6.開国~幕府の滅亡
阿部正弘:あべまさひろ
・松平慶永:まつだいらよしなが
・島津斉彬:しまづなりあきら
・伊達宗城:だてむねなり
・徳川斉昭とくがわなりあき
・大船建造の禁:たいせんけんぞうのきん
・蕃書調所:ばんしょしらべしょ

下田:しもだ
箱館:はこだて
※漢字ミス注意。館は×
・片務的:へんむてき
最恵国待遇:さいけいこくたいぐう
・択捉島:えとろふとう
・得撫島:うるっぷとう
・両国人雑居:りょうこくじんざっきょ

堀田正睦:ほったまさよし
孝明天皇:こうめいてんのう
井伊直弼:いいなおすけ
日米修好通商条約:にちべいしゅうこうつうしょうじょうやく
領事裁判権:りょうじさいばんけん
治外法権:ちがいほうけん
関税自主権:かんぜいじしゅけん
・蚕卵紙:さんらんし
毛織物:けおりもの
綿織物:めんおりもの
万延小判:まんえんこばん
五品江戸廻送令:ごひんえどかいそうれい
・雑穀:ざっこく
・水油:みずあぶら
・蠟:ろう

・将軍継嗣問題:しょうぐんけいしもんだい
徳川家定:とくがわいえさだ
一橋慶喜:ひとつばしよしのぶ
・南紀派:なんきは
徳川慶福:とくがわよしとみ
徳川家茂:とくがわいえもち
橋本左内:はしもとさない
吉田松陰:よしだしょういん
桜田門外の変:さくらだもんがいのへん
安藤信正:あんどうのぶまさ
・和宮降嫁:かずのみやこうか
文久の改革:ぶんきゅうのかいかく
島津久光:しまづひさみつ
政事総裁職:せいじそうさいしょく
松平容保:まつだいらかたもり
三条実美:さんじょうさねとみ
・新撰組:しんせんぐみ
禁門の変(蛤御門の変):きんもんのへん(はまぐりごもんのへん)
四国艦隊下関砲撃事件:しこくかんたいしものせきほうげきじけん
・改税約書:かいぜいやくしょ

高杉晋作:たかすぎしんさく
桂小五郎(木戸孝允):かつらこごろう(きどたかよし)

山内豊信(容堂):やまうちとよしげ(ようどう)
・公議政体論:こうぎせいたいろん

三職:さんしょく
・総裁:そうさい
・議定:ぎじょう
・参与:さんよ
小御所会議:こごしょかいぎ
辞官納地:じかんのうち

世直し一揆:よなおしいっき
・御蔭参り:おかげまいり
・教派神道:きょうはしんとう
天理教:てんりきょう
黒住教:くろずみきょう
・黒住宗忠:くろずみむねただ
金光教:こんこうきょう
・川手文治郎:かわてぶんじろう

 


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